大学案内
学長室

スピーチ集
平成22年度千葉大学大学院修了式学長告辞
本日、大学院の課程を修了し、修士の学位を取得された1,010名の皆さん、専門職学位を取得された48名の皆さん、博士の学位を取得された215名の皆さん、おめでとうございます。
この記念すべき日にどうしても申し上げなければならない悲しい出来事が日本に起こりました。東北関東の太平洋沿岸を中心に起こりました地震と津波のことです。これほど発達した人類の文明が、自然の強大な力によって一瞬にしてこんなにも打ちのめされることをどれほど想像出来たでしょうか。ただただ悲しいという言葉しかありません。この不幸の中ではありますが、今こそ、われわれの力を最大限発揮してこの危機を乗り越えて、新しい日本へ回復させようではありませんか。このことを改めて認識しながら、この学位記を授与される日を迎えてほしいと思います。これまで皆さんを支えてこられた多くの方々と共に喜びを分かち合いたいと思います。
皆さんはいろいろな分野で、研究という世界で精進されました。その研究を通してすばらしい成果を挙げられて、学位記を授与される今日(きょう)という日を迎えられました。研究を行ってきた日々には大きな感動もあり、また時には挫折感も味わったかもしれません。それは研究という成果をより大きく、そしてより深く、内容のあるものにさせることにも、大きな役割を果たしたかもしれませんし、また研究者としていろいろ考える機会にもなったかもしれません。これからの人生において、そして活躍される現場において、研究の成果の活用はもちろんですが、研究生活の中で学んだ多くのことも大いに役立つことを願っています。
そのような意味でこれからの皆さんに期待すること、心がけてほしいことについて述べたいと思いま。
皆さんは大学院で学ばれたということが、どのような意味を持つでしょうか。大学院では知識を身につけるということの他に、自らの研究に基づいて独自の専門的な世界を持つことに努力され、めでたく学位記を授与される日を迎えられ、自らの専門の世界を持つ人間になったということではないでしょうか。その世界をこれからの自らの活躍の中にどのように生かしていくかということは、更に大切なことであります。
皆さんは高い専門性と、高い水準の研究成果を生み出しました。それは山に例えると、より高い山を築かれたのであります。高い山は広い裾野を持っていますし、それがいっそう山の高さのすばらしさを作り上げていると思います。この広い裾野とは研究に例えたらなんと表現するでしょうか。それは幅広い基礎力とも、あるいは分野を問わない広い知識とも言うことができるでしょう。皆さんはこれからいろいろな方面で、いろいろな意味で指導者として活躍されることが期待されている訳です。そのためには作り上げてきた、あるいは将来さらに作り上げるであろう高い研究成果や能力が十分に発揮されるために、その高い、狭い専門の研究領域の能力や成果に頼るだけでは十分ではありません。その成果を十分に伝え、そしてその成果を十分に役立たせるために、そしてそのことを世界の誰にでも伝えられるためには、研究の成果やその世界について、どのようにでも展開して、誰にでも語れること、そして十分にその趣旨が伝わることが必要であります。そのために必要なことは、いわば広い裾野すなわち基礎力とそれを語る領域を越えた幅広い知識が求められると思います。とかく、日本の研究という世界では、ひとつの専門家であるということが最上の誇りとされるということがままあり、いわゆる幅広い領域をもつ人間であることが尊重されないという見方もあったように思います。ひとつの専門に忠実になることのみを誇りとするという社会であったように思われます。しかし、これからの研究、産業の進歩には、ひとつの専門性を持つというだけでは、目的を完成していくことが困難な時代を迎えているように思われます。何故ならば、現代社会において、科学の成果や技術が人間社会に利用されていく時に、その成果が総合的な角度からその意義について語られることが必須であり、それを語れる研究者、人間であることが求められると考えるからであります。基本的に人間の思惟と行動を導いていくものは、積み上げた科学的な知識というよりも、むしろその裾野である幅広い知識や考え方であると思います。すなわち、自らの研究成果を真に社会に伝えていくために、研究成果を支える広い裾野を持たなければならないということだと思います。
幅広い知識、考え方ということについて、敢えてひとつの病気を取り上げて考えてみたいと思います。認知症という特に高齢者に起こり、異常な行動をとることもある難病があります。この病気の成り立ちの全貌は明らかになっていませんが、脳神経の障害がその原因として起こることは、臨床医学、細胞生物学的、あるいは画像学の研究で明らかになっています。病因論としてある可能性は明らかになっているのですが、この病気の全体像を理解するということを考えてみますと、事実としてこんなことがあります。疫学的研究でこの領域の専門家の大井博士は、興味ある結果を述べておられます。痴呆になった方はいわゆる知力が低下していると一般に考えられていると思います。しかし、いわゆる“痴呆”といわれる方の約2割は知力が正常かごく軽度の低下にとどまっているという結果を示しています。反対に正常といわれる老人の10パーセントには中程度から重度の知力低下があったということであります。この事実は知力低下がない時でも、うつ状態になって行動が鈍くなったり、頓珍漢な反応をするといわゆる“認知症”とみなされ、一方、痴呆老人と診断されるはずの人が、家庭でも普通の年寄りとして生活できるというものです。ここでの疑問として、なぜ痴呆であるはずの人が正常と思われたのでしょうか。病因論として考えられた単一の脳神経障害という基準のみでは、語ることの出来ない要因のあることを知ります。その説明として知力低下の有無にかかわらず、人間関係に応じて症状の変化する可能性があると述べられています。敬老思想が強く保存され、実際に老人が暖かく看護、尊敬されている土地では老人に精神的葛藤がなく、たとえ脳に器質的な変化が起こっても、この人たちにうつ状態や妄想などは起こらないということを示しています。すなわち、環境がよければその地域では、知力が低下した老人が他人に迷惑を及ぼすような症状を表すことなく、普通に過ごせるということを示唆しています。高齢者の認知症という難しい問題にも、深く広くその現象を理解することにより、極めて単純な解決策が潜んでいることを示しています。このことは、多くの健全な社会の創成に、研究の世界にも、生産の世界にも、研究者は幅広く考え、高い頂上を支えるいわゆる広い裾野が必要なことを示しています。
最後にこれからの皆さんの社会でのトップリーダーとしてのご活躍を教職員一同期待いたしますと共に、学び舎はいつもあなた方を待っていることを忘れないでください。このことをお願いして、学位記を授与されたお祝いの言葉とさせていただきます。
平成23年3月25日
千葉大学長 齋藤 康






標準
大
ブラウザでの設定方法










