特色ある研究活動の成果
Research

木材セラピー:嗅覚・触覚・視覚を介した生理的リラックス効果

木材セラピー:嗅覚・触覚・視覚を介した生理的リラックス効果

研究代表者
池井 晴美
共同研究者
①氏名、②フリガナ、③ローマ字表記、④所属部局名、⑤職名、⑥専門分野
①宮崎 良文、②ミヤザキ ヨシフミ、③Miyazaki Yoshifumi、④環境健康フィールド科学センター、⑤グランドフェロー・特任研究員、⑥自然セラピー学、生理人類学
①宋 チョロン、②ソン チョロン、③Song Chorong、④韓国国立公州大学校山林科学科、⑤助教、⑥森林科学、自然セラピー学、環境健康学
①仲村 匡司、②ナカムラ マサシ、③Nakamura Masashi、④京都大学国際高等教育院、京都大学大学院農学研究科(併任)、⑤教授、⑥木質環境学、林産工学、生理人類学

木材由来の嗅覚、触覚、視覚刺激が及ぼす生理的影響に関する実験風景

図1: 木材由来の嗅覚、触覚、視覚刺激が及ぼす生理的影響に関する実験風景

池井 晴美特任助教

池井 晴美

Ikei Harumi

環境健康フィールド科学センター 特任助教

専門分野:自然セラピー学、環境健康学、木質環境学、生理人類学

2013年千葉大学園芸学部緑地環境学科卒業、同年千葉大学大学院園芸学研究科博士前期課程入学。2015年博士前期課程修了、博士後期課程進学と同時に森林総合研究所木材部門構造利用研究領域にテニュア・トラック型任期付研究員として入所。2018年博士後期課程修了、博士(博士)取得、森林総合研究所研究員。2019年10月より千葉大学環境健康フィールド科学センター特任助教、現在に至る。
2015年千葉大学学業成績優秀者に係る学長表彰(博士前期課程)、2016年つくばサイエンス・アカデミー(尾崎玲於奈会長)テクノロジーショーケース若手特別賞、2018年千葉大学Future Earth優秀発表賞、千葉大学学業成績優秀者に係る学長表彰(博士後期課程)、2019年日本木材学会奨励賞等を受賞。

どのような研究内容か?

 木材は、古くから、住宅や家具等の材料として用いられてきたなじみ深い自然素材の一つです。香り、手触り・足触り、見た目など、五感を介してもたらされる木材由来の刺激は、私たちの快適感やリラックス感を高めることが経験的に知られています。これまで、日本においても、海外においても、アンケートやインタビューなどの質問紙法によって、木材の良さを明らかにしようとする試みが続けられています。しかし、木材が人の脳や体にもたらす効果についてはよくわかっておらず、科学的データの報告が待たれていました。私たちの研究チームでは、「科学的エビデンスおよび予防医学的観点に基づいた木材と人の相互作用」を「木材セラピー」と定義し、木材が人にもたらす生理的リラックス効果の解明を目指して研究を行っています。本稿では、ここ十数年で急速に進歩した生理応答計測技術を用いた被験者実験(図1)から、木材由来の嗅覚、触覚、視覚刺激が及ぼす生理的影響に関する科学的データを紹介します。

1. 嗅覚を介した生理的リラックス効果
 木材の香りについては、日本の代表的な樹木であるヒノキを対象に、実験を行いました。まず、ヒノキの枝葉から抽出した精油の香りがもたらす生理的リラックス効果を調べました。温湿度と照度を一定に調整した人工気候室という実験室にて、20歳代の女子大学生に精油の香りを90秒間嗅いでもらいました。比較のための対照条件は、においなし(空気)としました。その結果、ヒノキ精油の香りを嗅ぐことによって、対照と比較して、高すぎる脳前頭前野活動が鎮静化し、リラックス時に高まる副交感神経活動が統計的有意差を持って亢進しました(図2)。また、天然乾燥したヒノキ材チップの香りは、脳前頭前野活動を有意に鎮静化させること、ヒノキなどの針葉樹に多く含まれるにおい成分であるα-ピネンやD-リモネンの香りは、副交感神経活動を有意に亢進させることも分かりました。つまり、木材の香りは、生体を生理的にリラックスさせることが明らかになりました。

2. 触覚を介した生理的リラックス効果
 家具や内装材として一般的に用いられる広葉樹・ホワイトオークを対象に、手で触ったときのリラックス効果について調べました。比較のための素材としては、大理石、タイル、ステンレス板といった他の建築素材を用いました。20歳代の女子大学生に協力いただき、目を閉じた状態で、各種素材に90秒間触ってもらいました。その結果、ホワイトオーク材に手で触れた場合、他素材と比べて、脳前頭前野活動の有意な鎮静化と副交感神経活動の亢進をもたらし、生体を生理的にリラックスさせることが明らかとなりました(図3)。日本の代表的な樹木であるヒノキやスギについても、大理石との比較によって、同様の効果が得られました。また、無垢材と塗装材の違いについても調べたところ、無垢材への接触は、各種塗装材に比べて、有意な前頭前野活動の鎮静化、副交感神経活動の亢進、心拍数の低下をもたらしました。
 日本においては、室内では靴を脱いで生活することが一般的ですので、素足で木材に触ったときのリラックス効果についても調べました。女子大学生に協力してもらい、目を閉じた状態で無塗装ヒノキ材と大理石に90秒間触ってもらいました。その結果、ヒノキ材に素足で触ることは、高すぎる脳活動を鎮静化させ、リラックス時に高まる副交感神経活動を亢進させるとともに、ストレス時に高まる交感神経活動を抑制することが明らかになりました(すべて有意差有・図4)。同様の効果は、スギ材でも認められました。

3. 視覚を介した生理的リラックス効果
 木材の見た目に関しては、大型ディスプレイを用いた画像実験を行いました。まず、実物大の木材を縦方向に貼った壁画像(縦貼)と横方向に貼った壁画像(横貼)を対象に、その影響を調べました。比較のための対照刺激としては、グレー画像を用意しました。女子大学生に各種画像をそれぞれ90秒間見てもらった結果、縦貼の木質壁画像を見ることによって、左右前頭前野活動が有意に低下しました(図5)。横貼についても、対照であるグレー画像との間に、有意差が認められました。つまり、縦貼あるいは横貼の木質壁画像による視覚刺激は、対照と比べて、脳前頭前野活動を鎮静化させるという生理的リラックス効果をもたらすことが明らかになりました。次に、節がある材(有節)と節がない材(無節)についても調べました。無節・有節の木質画像は、脳前頭前野活動の鎮静化を生じるとともに、リラックス時に高まる副交感神経活動の亢進、あるいはストレス時に高まる交感神経活動の抑制を生じることが認められました(すべて有意差有)。

何の役に立つ研究なのか?

 現在の高度な人工・都市環境は、私たちに便利で安全な生活を提供する一方で、常に強いストレス状態をもたらしています。「木材セラピー」は、予防医学的観点に基づいた概念です。自然素材である木材を生活に取り入れ、日常的に触れ合うことによって、ストレス状態が軽減されます。ストレス状態によって低下していた免疫機能が改善し、病気になりにくい体になることが期待されるのです。最近では、SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも、適切な森林管理や、森林から生産される木材の利活用の重要性が再認識されています。本研究によって得られた成果が木材の利活用促進に繋がるとともに、私たち現代人の「生活の質」の向上に寄与すると考えています。

今後の計画は?

 近年、木材がもたらす生理的リラックス効果の利活用に期待が高まっていますが、科学的データの蓄積はまだまだ少ないのが現状です。今後は、視覚、嗅覚、触覚の複合刺激実験や実際の木質居室空間実験など、より現実に近づけた研究を行いたいと考えています。また、軽度のうつ病患者や種々の依存症患者など、日常的に強いストレス状態にある方々を対象として、木材がもたらす生理的リラックス効果に関するデータを蓄積し、その予防医学的効果を明らかにしていきます。

関連ウェブサイトへのリンクURL

研究室ホームページ:
自然セラピープロジェクト http://www.fc.chiba-u.jp/research/naturetherapy/
個人ページ:
Researchmap https://researchmap.jp/ikei_harumi
Google Scholar https://scholar.google.co.jp/citations?user=iY0w_RIAAAAJ&hl=ja
Scopus https://www.scopus.com/authid/detail.uri?authorId=55912163800

成果を客観的に示す論文や新聞等での掲載の紹介

1. 嗅覚
1) ヒノキ枝葉精油:H. Ikei et al. J. Physiol. Anthropol. 33, 34, 2015
https://jphysiolanthropol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s40101-015-0082-2
2) 天然乾燥ヒノキ材:H. Ikei et al., J. Wood Sci. 61, 537-540, 2015
https://link.springer.com/article/10.1007/s10086-015-1495-6
3) におい成分α-ピネン:H. Ikei et al., J. Wood Sci. 62, 568-572, 2016
https://link.springer.com/article/10.1007/s10086-016-1576-1
4) におい成分D-リモネン:D. Joung et al., Adv. Hortic. Sci. 28, 90-94, 2014
https://www.jstor.org/stable/24586803?seq=1#metadata_info_tab_contents
2. 触覚
1) 手で触る
 ①ホワイトオーク(vs他素材):H. Ikei et al., Int. J. Environ. Res. Public Health 14, 801, 2017
https://www.mdpi.com/1660-4601/14/7/801
 ②ヒノキ:H. Ikei et al., J. Wood Sci. 64, 226-236, 2018
https://jwoodscience.springeropen.com/articles/10.1007/s10086-017-1691-7
 ③スギ:H. Ikei et al., J. Wood Sci. 65, 48, 2019
https://link.springer.com/article/10.1186/s10086-019-1827-z
 ④ホワイトオーク(vs塗装材):H. Ikei et al., Int. J. Environ. Res. Public Health 14, 773, 2017
https://www.mdpi.com/1660-4601/14/7/773
2)足で触る
 ①ヒノキ:H. Ikei et al., Int. J. Environ. Res. Public Health 15, 2135, 2018
https://www.mdpi.com/1660-4601/15/10/2135
 ②スギ:H. Ikei et al., J. Wood Sci. 66, 29, 2020
https://link.springer.com/article/10.1186/s10086-020-01876-1
3. 視覚
1) 縦貼・横貼画像:M. Nakamura et al., J. Wood Sci. 65, 55, 2019
https://link.springer.com/article/10.1186/s10086-019-1834-0
2) 有節・無節画像:H. Ikei et al., Sustainability 12, 9898, 2020
https://www.mdpi.com/2071-1050/12/23/9898

この研究の「強み」は?

 本研究分野は、「木材」と「人」を対象とした研究分野が融合して成り立ちます。しかし、世界的にも、この両分野の融合はなされていないのが現状です。私たちの研究チームでは、両方の視点から研究を進めているため、「Only one」としての強みがあり、そこに醍醐味があります。

ヒノキ葉油の嗅覚刺激による脳前頭前野活動と副交感神経活動の変化

図2: ヒノキ葉油の嗅覚刺激による脳前頭前野活動と副交感神経活動の変化
被験者:女子大学生13名(平均21.5歳)、刺激90秒間の平均値、「香りあり」と「香りなし」の間に統計的有意差あり

ホワイトオーク材への手掌接触による脳前頭前野活動と副交感神経活動の変化

図3: ホワイトオーク材への手掌接触による脳前頭前野活動と副交感神経活動の変化
被験者:女子大学生18名(平均21.7歳)、刺激90秒間の平均値、脳前頭前野活動:「木材」と「大理石」「タイル」「ステンレス」の間に統計的有意差あり、副交感神経活動:「木材」と「大理石」「ステンレス」の間に統計的有意差あり

ホワイトオーク材への足裏接触による交感神経活動の変化

図4: ホワイトオーク材への足裏接触による交感神経活動の変化
被験者:女子大学生19名(平均21.2歳)、刺激90秒間の平均値、「木材」と「大理石」の間に統計的有意差あり

縦貼・横貼木質壁画像の視覚刺激による脳前頭前野活動の変化

図5: 縦貼・横貼木質壁画像の視覚刺激による脳前頭前野活動の変化
被験者:女子大学生28名(平均22.3歳)、刺激90秒間の平均値、「縦貼」と「グレー画像」ならびに「横貼」と「グレー画像」の間に統計的有意差あり