動物との比較から人間の認知過程を理解する

図1 (左)隠れた部分を補うアモーダル補間の一例。円が四角形の後ろに隠れているように見える。(右)モーダル補間の一例。実際には存在しない三角形が見える。主観的輪郭,カニッツァ錯視とも呼ばれる。

牛谷 智一
Ushitani Tomokazu
大学院人文科学研究院准教授
専門分野:比較認知科学
1977年神戸市出身。2000年京都大学文学部卒業。2005年京都大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。同年千葉大学文学部助教授(2007年准教授に職名変更),2017年大学院人文科学研究院准教授,現在に至る。2002~2005年日本学術振興会特別研究員(DC1)。2012~2013年マッコリー大学(豪ニューサウスウェールズ州)客員教授。

どのような研究内容か?
私たちは、目や耳から外界の情報を取り入れ、思考したり感情を抱いたりします。またその内容を記憶し、これら思考・感情・記憶に基づいて行動します。このような働きは、認知と総称されますが、胎児のときから始まり、寝ているときも頻繁におこなわれ、死ぬまで続きます。まるで呼吸のようです。しかし私たちはこの身近な認知の働きの全体像についてまだほとんど理解していません。また、私たちの認知は大変複雑ですが、どうしてこのような複雑な認知過程が何億年もの生物進化の過程で形成されてきたのか、その進化的背景についてもほとんど解明されていません。私の研究領域、比較認知科学はこの壮大な問いに挑む領域です。
比較認知科学は、もともと実験心理学の一分野である比較心理学から出発しています。現在でも、ベースとなる方法は、比較心理学の手法に基づいていますが、動物行動学や神経科学をはじめとする生物学諸領域の思想・知見・方法を取り入れてきました。また、私たちの「認知様式」イコール「心のあり様」を調べることは、古今東西、文科系の問いでもあるため(だからこそ文学部にあるのですが)、比較認知科学は、文科系と理科系にまたがる学際領域を形成していることになります。広大な比較認知領域の中でも、私は特に、目から情報を取り入れてどのように心の中でどのように整理されているかについて重点的に調べています。
例えば、図1左は、円が四角形の後ろに隠れているように見えますが、我々の網膜に映っているのは、一部欠けた円と四角形だけです。私たちのすむ3次元の世界では、見るべき対象が他のものに一部隠されることがどうしても多いので、網膜像を補うこの機能は重要です(アモーダル補間と呼ばれています)。私たちは、ヒトやチンパンジーはアモーダル補間をするのに、ハトなどの鳥類はしないことを明らかにしました。これは鳥類の知能が低いためではなく、アモーダル補間が時間のかかる認知処理なので、軽快な処理を求めてアモーダル補間を避けている可能性が考えられます。その証拠に、よく似た補間機能であるモーダル補間をハトの視覚システムが実現していることを私たちは明らかにしました。図1右は、モーダル補間の代表的な現象である主観的輪郭の例です。背景より明るい三角形が中央に見えますが、実際には存在しません。これは、不確かな光環境下で物体の輪郭を検出するための機能だと考えられています。例えば、図2右は、図2左とは異なり、背景の色・テクスチャが一番手前の多角形図形と類似しています。このように見るべき対象とその背景がよく似た色・テクスチャになって光学的には輪郭が存在しない場合でも、私たちは見るべき対象の輪郭を知覚できることがわかります。実際、図2右は、図2左と同等に手前の物体の輪郭が知覚できます。この主観的輪郭をハトも知覚しているという我々の発見は、アモーダル補間とは異なり、モーダル補間がヒトとハトとで共通の必要性がある認知機能なのだという可能性を示しています。また、アモーダル補間とモーダル補間が同じ原理によって生ずるという説と、異なる原理で生ずるという説が対立していましたが、私たちの研究は、後者を支持しています。
この研究は、ほんの出発点に過ぎません。私たちは、上記のような知覚研究のみならず、動物の認識に関する広範なテーマの研究を学内外の多数の共同研究者と実施しています。最近は、知覚された物体に対してどのように注意が向けられるか、その注意の向け方と衝動性といった「個性」との間に関連はあるか、知覚された物体が記憶の中でどのように整理・構造化されているか、知覚された物体が身の回りの空間を探索する上でどのように使われているか、など発展的なテーマについて、ヒトからミツバチまで広範囲の種を比較しています。

何の役に立つ研究なのか?
ヒトは、古くは「万物の霊長」などと呼ばれ、唯一無二の高い知能を持つと考えられてきました。しかし、私たちは、悠久の時間をかけて思考することはできず、ミリ秒単位の認知処理が必要であるため、さまざまな制約をかけることによって円滑な認知処理をおこなっていることがわかってきました。より高速で軽快な認知処理の必要とされる動物種(例えば鳥類)では、制約条件が異なっていると考えられます。ヒトの認知処理がどのような制約を持ち、またそれはなぜなのか、を解明することは、 ヒトの認知処理をサポートする機械を作る際にも重要です。例えば、現在のコンピュータ技術では、上記のような隠れた部分を補うアモーダル補間はできません。ヒトの視覚をシミュレートするマシンを作るなら、ヒトの補間処理を深く理解する必要があります。また逆に、鳥類のような、アモーダル補間を避ける視覚情報処理をシミュレートすることで、ヒトより高速で軽快な処理をするマシンを、ヒトのサポート用に開発することもできるでしょう。

今後の計画は?
私は、ヒトや動物のような知性を、自然が創った「野生型知能」と呼んでいます。私たちは、動物種間を比較するのみならず、共同研究者とともに、人工知能と野生型知能の比較研究を進めています。また、同じ種でも個体差が大きいことから、このような「個性」が進化につながる可能性を検討しています。さらには、より広範囲の種間比較をするため、千葉市動物公園との共同研究を進めつつあります。

関連ウェブサイトへのリンクURL

成果を客観的に示す論文や新聞等での掲載の紹介
* Sekiguchi, K., Ushitani, T., & Sawa, K. (in press). Journal of Comparative Psychology
* Ushitani, T., Perry, C. J., Cheng, K. & Barron, A. B. (2016). Journal of Experimental Biology, 219, 412-418. DOI:10.1242/jeb.126920
* Ushitani, T., & Jitsumori, M. (2011). Journal of Comparative Psychology, 125, 317-327. DOI: 10.1037/a0023044
* Sekiguchi, K., Ushitani, T., & Jitsumori, M. (2011). Behavioural Processes, 86, 81-87. DOI:10.1016/j.beproc.2010.09.004.
* Ushitani, T., Imura, T., & Tomonaga, M. (2010) Vision Research, 50, 577-584. DOI: 10.1016/j.visres.2010.01.003.

この研究の「強み」は?
Aさんが短気だ、と言うとき、Aさん以外はAさんほど短気でないことがわからないと、そのような言い方はできません。ヒトの認知機能が持つ特徴は、ヒト以外の動物や、はたまた機械の情報処理との比較でしか明らかにできません。また、動物や機械との比較によってはじめて、ヒトが持つ認知機能が進化してきた理由を明らかにできます。このような重要な研究であるにもかかわらず、動物の認知研究は、アイデアと忍耐が必要であるために、それほど多くの研究者が取り組んでいるわけでもありません。ほんの少しの工夫と忍耐と熟慮があれば、世界の最先端で活躍することができます。

研究への意気込みは?
解明すべきことは多く、時間はいくらあっても足りません。しかし、この分野で世界を牽引する千葉大学にしたい、という気概で研究の大海原を進んでいます。私たちの発見で世界を驚かせたい、知る喜びを多くの人に伝えたい、という気持ちが研究の推進力になっています。

学生や若手研究者へのメッセージ
動物をトレーニングし、行動を計測してその認知過程を調べることは、大変な労苦を伴いますが、当研究室に在籍する学生たちは、やり甲斐を以て毎日実験や解析に取り組んでいます。一緒に研究して、データに新しいことを発見したときの喜びを多くの人たちと共有したいと思っています。
図2(左)緑色の長方形の手前に茶色の多角形物体がある。背景の色やテクスチャがこの多角形物体と同じになると(右),当該の多角形物体と背景の光学的な境界は消えてしまう。しかし,我々の視覚システムは見えないはずの輪郭を補い,左と同じように手前の物体の輪郭を知覚する。