特色ある研究活動の成果
Research

北海道への武家家臣団移住と在地社会

北海道への武家家臣団移住と在地社会

奥州相馬氏野馬追図屏風(部分、伊達市所蔵、移住亘理伊達家家臣団家旧蔵)

写真① 奥州相馬氏野馬追図屏風(部分、伊達市所蔵、移住亘理伊達家家臣団家旧蔵)

檜皮 瑞樹准教授

檜皮 瑞樹

Hiwa Mizuki

人文科学研究院 准教授

専門分野:歴史学

2009年早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。2012年博士(文学)。2005年~2006年神奈川県立公文書館非常勤嘱託、2007年~2010年早稲田大学大学史資料センター助手、2011年~2015年早稲田大学大学史資料センター助教、2019年~千葉大学人文科学研究院准教授、現在にいたる。

どのような研究内容か?

 明治初期に北海道へ集団移住した武家家臣団について、移住後の地域社会形成に関する共同研究・及びフィールドワークを行っています。
 戊辰戦争(東北戦争)で敗者となった仙台伊達家は大幅な減封処分によって家臣団の維持が困難となりました。その結果、多くの家臣団家が北海道への移住を計画しました。明治3(1870)年の最初の開拓移住から明治10年代半ばまでの10数年の間に、3,000人以上の仙台伊達家関係者が海を渡りました。その特徴として、家族単位での定住を目指したものであったこと、北海道内での他地域への再移住が生じたこと(屯田兵への再移住を含む)、十数年にわたる断続的・継続的な開拓移住であったこと、などが挙げられます。
 一方で、仙台伊達家の家臣団家であった亘理伊達家、石川家、片倉家が移住した有珠郡・室蘭郡・幌別郡(現在の伊達市、室蘭市、登別市)には、近世以前から多様な先住者が存在しました。ウス・アブタ・ホロベツなど、この地域には蝦夷地の先住民族であるアイヌ民族のコタンが数多く存在しました。また、有珠には蝦夷三官寺のひとつである有珠善光寺が19世紀の初めに建立され、出稼ぎ人の弔い以外にアイヌ民族への布教活動も行われました。その他にも、永住和人と呼ばれたウス牧(牧場)やウス場所(主に漁業従事者)での出稼ぎ和人など、多くの先住者の存在を確認することができます。
 明治10年代以降には、近世以前の先住者や仙台伊達家移住者に加えて、徳島県(阿波団体)や香川県(三豊郡が中心)からの移住者が加わることで、さらに多様な社会集団によって有珠郡を中心とした地域社会が形成されました。このような多様なルーツを持つ人々によって構成された地域社会をフィールドにして、地域社会形成における軋轢や衝突、地域支配におけるヒエラルキーや共存のありかたを歴史学的な視点から研究しています。
 さらには、伊達家家臣団家の移住前の居住地である宮城県の亘理・角田・白石の残留者とも継続的な交流を続けていました。移住者と残留者との恒常的なネットワークの存在にも注目しています。

何の役に立つ研究なのか?

 日本近世社会は"島国"や"鎖国"という言葉のイメージから閉鎖的、あるいは外側の世界から遮断された空間として理解されがちです。しかし、"四つの口論"に象徴されるように、近世日本は朝鮮王朝や琉球王国、あるいはアイヌ民族といった外側の世界との接触を絶え間なく続けていました。蝦夷地との関係においても、18世紀以降には多くの出稼ぎ和人が蝦夷地での漁場労働に従事していたことや、和人の進出した場所においてアイヌ民族との"場所共同体"が形成されていたことが指摘されています。
 異なる言語や文化を背景とする人々(社会集団)との接触を歴史的な事例から研究することは、現在の多文化共生社会のありかたを考えるうえで貴重な示唆を与えてくれます。もちろん、異文化との接触が衝突や軋轢といった負の側面を生じさせることは、多くの歴史的な事象からも明らかです。共存や共生を安易に志向するのではなく、多くの困難を乗り越えた先に多様性のある社会の実現を見据えることが不可欠となります。

今後の計画は?

 第一には、北海道への開拓移住が本格化した19世紀末以降における、和人社会とアイヌ民族との関係を土地の所有という視点から考察することです。第二には、蝦夷地(北海道)の歴史をコロニアルという視座から捉えなおすことによって、近代日本における植民地支配との共通性や差異を検討することです。

関連ウェブサイトへのリンクURL

https://www.l.chiba-u.jp/applicants/teachers/mizuki_hiwa.html

学生や若手研究者へのメッセージ

 歴史学は史料調査や史料解読など、地道な作業の積み重ねが不可欠です。一方で、迂遠ではありながらも、現代的課題との対話が必要となります。歴史的な事象から現代的課題を捉えなおすという作業の面白さを感じて下さい。

亘理伊達家の旧地である宮城県亘理町(震災からの復興、2013年)

写真② 亘理伊達家の旧地である宮城県亘理町(震災からの復興、2013年)

市民講座「海を渡った武士たち」(伊達市、2014年)

写真③ 市民講座「海を渡った武士たち」(伊達市、2014年)

伊達神社(伊達家家臣団の精神的支柱であった神社)

写真④ 伊達神社(伊達家家臣団の精神的支柱であった神社)

『北の大地と生きる』伊達市教育委員会(監修として参加)

写真⑤ 『北の大地と生きる』伊達市教育委員会(監修として参加)